「歌月十夜」(present by TYPE-MOON) シナリオ 『「夢十夜」妹切草』 ---------------------------------------------------------------------------- □山道  夏の夕暮れ。  僕は秋葉と翡翠、琥珀さんを乗せて山道を走っていた。  従姉妹の秋葉が海に行きたい、というので保護者兼運転手兼、恋人役として駆り出されたのだ。 「深い森ね。もう一時間は走っているのにまだ終わりが見えないなんて」  助手席の秋葉がいつもどおりの不満顔で文句を言った。 「あら、そんな事では先が思いやられますよ秋葉さま。街に出るまではあと五つほど山を越えなくてはいけないのですから」  後部座席で地図を広げているのは琥珀さん。 「志貴さま。次のカーブは連続しているようですので、スピードを落としたほうがよろしいかと」  琥珀さんの横でナビをしてくれているのは翡翠。  二人とも遠野のお屋敷で働いてくれているお手伝いさんだ。  日帰りの旅行の帰り道。  夕方に海を出て、山道に差し掛かる頃にはとっくに日は暮れていた。 「もう、陰気な山道ね。こんな事なら一泊していけば良かった」  秋葉は退屈そうに山道を眺めている。 「兄さんはいつもツメが甘いのよね。帰り道に山道を選ぶなんて、私の婚約者失格よ」 「はは。そりゃあ良かった、それじゃあ帰ったら婚約を破棄しようか」 「そ、そんなの駄目に決まってるじゃない。私と兄さんの婚約はお父様たちがお決めになられた事なんですから、私たちの一存じゃ破れないもの」  ぷい、と窓の外へと顔を背ける秋葉。 「もう、いけませんよ志貴さん。あまり秋葉さまをからかわないでくださいね」  後ろからは琥珀さんの笑い声が聞こえてくる。 ———秋葉と僕は一年前から付き合っている。  僕こと七夜志貴は遠野家とは因縁浅からぬ家系のご落胤だったらしく、突然大企業として名を馳せている遠野グループ会長の一人娘と婚約関係になってしまった。  まあ、秋葉とは子供の頃から兄妹として育ってきていたし、お互い仲は良かったのでとりあえず婚約だけという形で収まった。  ただ困った事に、僕はまだ秋葉を妹としてしか見れていない。  秋葉が僕をどう見ているかは知らないけど、僕らがまだ胸を張って恋人同士と言えないのはそんな戸惑いのせいだった。 「兄さん。ちょっとスピード出すぎじゃないですか?」 「ん? ああ、そうだね。こういう所でキンコン鳴らすのはよくないね」  スピードを緩める。  地を這う蛇のようなカーブの連続を緩やかに過ぎて行く。 「———あ、またあの花」  不意に、秋葉はそんな事を呟いた。 □山道 「花?」 「ほら、あそこにも。見えませんか、珍しい色をした花が咲いているじゃないですか」  秋葉は木々の間を指差す。  あいにく車を運転している僕の目には入らなかった。 「ああ、あれは妹切草ですね。石榴のように赤い色をしていますから、遠目からでも目立つのでしょう」  琥珀さんは相変わらず博識だ。 「イモギリソウ、ですか? あまり聞かない名前ですね」 「あ、正式にはきちんとした呼び名があるんですよ。けどこのあたりではあの花は妹切草と呼ぶのだそうです」 「へえ。なにか曰くありげな名前ね、それは」  興味深そうに赤い花を眺める秋葉。 「………………」  翡翠は僕たちの話しを静かに聞いている。 ————と。 「……あれ?」  急にアクセルペダルの感覚が重くなった。  車はスピードを落として、ついに停止してしまった。 「ちょっと、なんなのよ。こんな所で止まってもしょうがないじゃない」 「いや、違うんだ。……まずいな、故障かな。とにかくトラブルだ。様子を見てくるから、中にいて」  懐中電灯を持って外に出た。 □山道  車から出ると、外はまるで別世界だった。  対向車も街灯もなく、深い山間の道は静まりかえっている。  闇はあまりにも深い。  まるでこの車の周りにしか世界がないような、そんな圧迫感だ。 「————まいったな、こんな所じゃ助けも呼べないぞ」  とりあえずエンジンルームを開ける。  異常はなかった。  一通り調べてもそれらしい異常はなく、最後にトランクを調べようとライトを向けた時。 【死者】 「うわあああああああ——————!」 「兄さん!?」  秋葉が飛び出してくる。  僕はカタカタと震える指先で、もう一度ライトを後ろに向けた。 □山道  ……誰もいない。  山道は恐ろしいほど静かだった。 【秋葉】 「兄さん、何かあったんですか? そんな、地面に座りこんでしまって」 「あ、いや———別になんでもないんだ」  目の錯覚だろう。  とりあえずトランク周りを調べる。  やはりこれといった異常は見られな———� 「……ガソリン……」  なぜここまで気が付かなかったのか。  今まで走ってきた道には、点々と黒い沁みが続いている。  ガソリンが、漏れていた。 □山道 「困ったな。それじゃどうあっても走らないし、携帯も圏外だし」  止まってしまった自動車を前にして僕らは悩みこむ。 【秋葉】 「もう、信じられないっ。ガソリンが漏れてるなんて、普通メーターを見ていれば気付くんじゃなくて!?」 「それがさ、ガソリンメーターはまだ満タンを指してるんだよ。どうも初めから壊れてたみたいだね、この車」 【秋葉】 「壊れてたみたいだねっ、って———なに冷静に状況を説明しているんですか兄さんはっ!  いい、このままだと一晩中ここで立ち往生って事なのよ!? こんな山奥で野宿をするなんて、私はぜっっっったいに嫌ですからね! こうなったのも全部兄さんの責任なんですから、車の一つや二つ気合で動かしてください!」 【琥珀】 「秋葉さま、無茶はあまり仰らないでください。志貴さんだって悪気があった訳ではないのですし」 【翡翠】 「……はい。責任があるとしたら、それはこの自動車をレンタルしたわたしにあると思います」 【翡翠】  しずしずと翡翠に頭をさげられて、秋葉はしぶしぶ文句をひっこめた。 「……しかし本当に参ったな。雲行きも怪しいし、この分じゃ一雨きそうだ。夏だから車の中にいればいいと思うけど、こう暗いと———」  何かよくない物に出会うかもしれない。  よせばいいのに、つい僕は——�  1、こういう時ってまず男が死ぬんだ、と思った。  2、さっきの目の錯覚を思い出してブルリとした。  さっきの目の錯覚を思い出してブルリとした。 【翡翠】 「……あの。志貴さま、あちらに見える明かりはなんでしょうか」 【秋葉】 「明かり? なに言ってるのよ翡翠、こんな山奥に明かりなんて————」 【琥珀】 「……ありましたね。確かに遠くてよく判りませんけど、あれは電灯の明かりだと思います」 「ああ、間違いない。いや、すごいぞ翡翠! よくあんな小さな明かりに気が付いたな!」 【翡翠】 「……はい。自動車が停止する前から、遠くに洋館らしき影が見えていたのです」 【秋葉】 「そうなの? ならもう確実ね。ここからならそう遠くはなさそうだし、事情を話して車を貸してもらいましょう」 【琥珀】 「ですね! 困った時はお互いさま、助け合いは人間の美徳ですから!」  ぱん、と嬉しそうに手を合わせる琥珀さん。 【翡翠】 「………………」  三人ともやる気満々だ。  ……まあ、この暗い山の中で三人を残していくのも心配だし、四人で一緒に行動したほうがいいだろう。 □林の中  国道から外れて森に足を踏み入れる。  先頭はもちろん自分で、秋葉たちが通りやすいように草を掻き分けて進む。  ……遠くに明かりが見えるからいいものの、夜の森は不気味な事この上ない。  くわえて、僕は———�  1、お腹が減って仕方がなかった。  2、さっきの、生々しい目の錯覚を忘れられないでいた。  さっきの、生々しい目の錯覚を忘れられないでいた。 【琥珀】 「志貴さん? なにかあったんですか?」 「いえ、何もないですよ。それより琥珀さんも気をつけて。このあたり、少しぬかるんでいますから」  草木を掻き分けて森を進む。  進んだ先は、一面の血の海だった。 「——————————」  意識が凍る。  あまりの生々しさに声もあげられず立ち尽くしていると、 「うわあ、綺麗に咲いていますねー」  後ろから、琥珀さんの声が聞こえてきた。 「……妹切草……?」  血に見えたのは赤い花だった。  琥珀さんは花が好きなので、はしゃぐように妹切草を摘んでいる。 【秋葉】 「へえ、こう見るとわりかし綺麗じゃない。あんまりに生々しい赤だから趣味が悪いかなって思ったけど、これなら許容範囲ね」 【翡翠】 「————————」  琥珀さんに続いて花畑を進んでいく二人。 「…………」  このままでは三人に置いて行かれる。  僕はさっきのイメージを振り払って、恐る恐る花畑に足を踏み入れた。 【琥珀】 「志貴さんっ」 「うわっ! ……って、なんですか琥珀さん。あんまり驚かさないでください」 「? 志貴さん、驚いたんですか?」 「……いえ、そういう訳ではないです。それよりなんですか? なにかあったとか」 【琥珀】 「いえ、そういう訳ではないんです。ただ志貴さんは妹切草の昔話を知っているかなあって」  ニコニコと笑う琥珀さん。  この人の悪い所は三つあって、そのうちの一つが大の怪談好きという事だ。 「……知りませんけど、それが何か」 【琥珀】 「うふふ、この花には面白い話がありまして。  その昔ですね、この山に親御さんのいない姉妹が住んでいたんです。二人はとっても似通っていまして、本人たち以外の人はどちらが姉でどちらが妹か判別がつかなかったそうなんです」 「……はあ。どこかで聞いたような話ですね、それ」 「それで、ですね。ある日、姉の方がお城のお殿様に見初められたんです。七日後に迎えにくるからそれまで準備をしておくように、とお殿様は姉に言いつけました。  それを知った妹はですね、姉を縛り付けて家に閉じ込め、姉のフリをしてお殿様を迎えたんですって」 「————酷いですね。それで、その後はどうなったんです?」 「どうって、妹にとって姉はもう邪魔じゃないですか。ですから山賊を雇って、縛り付けたままの姉を襲わせたんです」 「…………姉は、殺されてしまった、と?」 「いえいえ、これがですね、その姉は逞しい方で、山賊に取り入って生き延び、それだけではなく持ち前の権謀術数で山賊たちを一大勢力に成長させ、妹が住むお城へと攻め入ったのです」 「———————」  いきなりトンデモ話になったきた。 「烈火怒濤の勢いで山賊たちは城を落とし、姉は自分を陥れた妹の首を刎ねたそうです。ですが妹もお城に仕掛けを施していまして、お城は山賊たちもろとも崩れてしまったとか。  かくして、二人の姉妹によってこの国は滅びてしまったのだそうですよ」 「なるほど。ところで、その話のどこに妹切草が出てくるんです?」 【琥珀】 「ふふふふふふふ」  琥珀さんは思わせぶりな笑みを残して、先を進んでいる秋葉たちへと走っていった。 □屋敷の門  花畑を抜けると館は目の前に存在した。  立派な門だ。  僕はそれを見て————�  1、ちわっ、ライライ軒です! と叫びそうになった。  2、なぜこんな山奥にこんな立派な館があるのだろう、と疑問に思った。  なぜこんな山奥にこんな立派な館があるのだろう、と疑問に思った。 【秋葉】 「—————————」 「? どうしたんだ秋葉。山道で疲れたのか?」 【秋葉】 「え……いえ、そういう訳じゃないんです。ただ少し、この門を見ていたら気持ちが悪くなって。  ここに近づくと恐い目に遭う、なんて考えが浮かぶんです。……おかしいですね、初めて来た場所でそんな事を思うなんて」  秋葉は軽く首を振ってから門に手をかけた。  ……堅固な門は、まるで秋葉を受け入れるようにあっけなく開いていく。  ……この時、僕らはもう取りかえしのつかない道を選んでしまっていた。  おそらくは悪夢というイバラに捕われてしまったのだろう。  待ちうける運命も知らず、僕らはあらゆる意味で呪われた洋館へと足を踏み入れたのだった——— □遠野家屋敷  屋敷には明かりがついていた。  翡翠が発見し、僕たちが見た明かりの正体がこれだろう。 【秋葉】 「……兄さん、とりあえず挨拶をなさってはいかがでしょうか」 「そうだね。明かりもついてるし、これなら本当に車の一台ぐらいは貸してもらえそうだ」  もしそれが駄目でも電話を貸してもらえればそれでいい。  ドンドン、と大きな玄関をノックする。 【琥珀】 「……返事がありませんね」 【翡翠】 「人の気配らしきものもないようですが」  二人は冷静に状況を判断する。 「そんな事はないさ、明かりがついているんだから誰かいる筈だ」  そう信じこみたくて、僕はしつこく玄関を叩いた。  ドンドン。ドンドン。ドンドン。  何度叩いても返事はない。 【秋葉】 「……ねえ兄さん、留守にしていらっしゃるようなら戻りませんか? きっとこの館は別荘で、普段は無人なのかもしれませんし」  秋葉は珍しく弱気だ。 「そうかもしれないけど、この館以外に家なんてないし。電話を借りるだけでいいんだから、なんとか———」  中に入れないかな、と玄関に手をかける。 「あ」  ぎぎぎ、なんていう重苦しい音は一つも立てず、玄関はあっさりと開いてくれた。 □遠野家1階ロビー 「へえ、秋葉の所の家にも負けないぐらい立派な造りじゃないか」 【琥珀】 「そうですねー。なんだか見ず知らずの方の家、という気がしません」 【翡翠】 「………………」 【秋葉】 「ちょっと三人とも! 留守中に人の家に入るなんて行儀が悪いわよ!」 「まあまあ、固い事は言わない言わない。電話を借りるだけだし、ちゃんと事情を説明すれば解ってくれるよ。別に泥棒にきたって訳でもないんだし」 「それはそうですけど、やっぱり———」 【翡翠】 「秋葉さま。状況が状況ですので体裁を気にしていてもいられないのではないですか。あまり志貴さまを困らせないでください」  翡翠は叱りつけるように言った。  ……珍しい。翡翠が秋葉に意見するなんて、もしかしてこれが初めてではないのだろうか。 【秋葉】 「な———翡翠、あなた使用人の分際で私に意見するつもり……!?」 【翡翠】 「事実を述べたまでです。今は志貴さまの行動が最も適切だと存じ上げます」  慇懃に答える翡翠。  秋葉と翡翠はなにやら険悪なムードになってきた。 「あ、こっち! 志貴さん、秋葉さまー! こちらに電話がありますよー!」  と、いつのまにロビーから移動していたのか、右手側から琥珀さんの声が聞こえてきた。 「ほら二人とも、琥珀さんが電話を見つけたってさ。つまんないコトで睨み合ってないで行こう」 【秋葉】 「…………」 【翡翠】 「————」  翡翠はいつも通りに、秋葉はしぶしぶと歩き出した。 □遠野家居間  ロビー同様、居間も手入れが行き届いていた。 「うわー、いいソファー使ってますねー。長旅の疲れがとれちゃいます」  琥珀さんはソファーに座ったり跳ねたりしてはしゃいでいる。 【秋葉】 「ちょっと琥珀、人様のお屋敷ではしゃぐなんてみっともないわよ」 【翡翠】 「そう、でしょうか。この洋館ですが、なんだか……」 【琥珀】 「ええ、他人の家のような気がしませんよね。調度品のセンスも槙久様と似通っています」 【秋葉】 「—————————」  秋葉もそれは感じとっていたのだろう、視線を逸らして黙り込んでしまった。  さて、電話だ。  居間にあるのは昔ながらの黒電話。  受話器を取って、ダイヤル盤を回していく。 「———————あれ?」  おかしい。音がしない。  もう一度ダイヤル盤を回す。  ツー、ツー、という通話中の音さえしない。  調べてみると、この電話にはコードらしきものは存在しなかった。 【琥珀】 「どうしました志貴さん?」  ひょい、と後ろから顔を出す琥珀さん。 「あ……いえ、この電話なんですけど、コードが」  黒電話を持ち上げて裏側を見せる。  そこには、本来伸びている筈の電話線が存在しなかった。 「コードレスですねー」  真顔でボケるのは止めてほしい。 「違いますっ。コードレスの黒電話なんて普通ありません。これ、玩具か何かですよ。他にちゃんとした電話があるはずですから探しましょう」  黒電話を置いて皆に話しかける。 ————と。  じりりり、じりりりり。  黒電話が鳴り始めた。 「——————!」  みんなの表情が凍りつく。 「ちょっ、兄さん、それ———使えないんじゃないんですか」 「そう、そうなんだけど———」  じりりり、じりりりり。  黒電話は鳴り続ける。  その音は無気味で、これ以上鳴り響かせてはいけない気がした。  ……さっきの目の錯覚を思い出す。  この音は、何かイヤな物を呼び寄せる呪文のように思えてならなかった。 「志貴さま……」  不安そうな翡翠の声。  じりりり、じりりりり。  意を決して受話器を取った。 「……もしもし」 「—————————————」  受話器の向こうには、かすかな人の息遣いがする。 「もしもし!? あの、どなたですか!?」  恐くなって、つい大声をあげてしまった。 「—————————————」  息遣いが強くなる。  カチリ、と何か音がした後、           帰れない  と、そんな声がした。 「うわあ!」 「きゃあ!」  電気が消えた。 「秋葉! 翡翠、琥珀さん!」  急いで秋葉たちの側へと駆け寄る。 「兄さん!? これはどういう事ですか!?」 「解らない、停電かもしれない! ともかく落ちついて、琥珀さんたちと手を繋いでいてくれ!」  言いつつ、僕も誰かの手を握った。 □遠野家居間 □遠野家居間 □遠野家居間  ……ようやく闇に目が慣れてきた。 【秋葉】 「……月が出てきましたね」  秋葉が声をあげる。  秋葉が握っていた手は僕の手だった。 【秋葉】 「あ……に、兄さんの手だったんですね」  秋葉は恥ずかしそうに握った手を離した。 「……姉さん? 姉さん……!」  翡翠が慌てて居間を見渡す。 「? 翡翠、何かあったのか」 【翡翠】 「姉さんがいません。さっきまで確かに手を握っていたのにいないのです」 「!」  急いで部屋を見渡す。  ……暗くて様子は判らないが、たしかに琥珀さんの姿は見当たらなかった。 「琥珀さん! どこだ、返事をしてくれ琥珀さん!」  声をあげても返事はない。 —————まずい。  状況はよく解らないけれど、この館で琥珀さんを一人きりにしてしまうのはとても危険な気がした。 「————」  今、何か。  上から、何かを引きずるような音が。 【翡翠】 「……志貴さま、今二階から……」 【秋葉】 「ええ、たしかに物音がしたわね」  僕らは無言で見詰め合う。 「———様子を見に行こう。もしかしたら琥珀さんかもしれない」 □屋敷の廊下  ……館の二階に上がった。  もう完全に電気は落ちているのか、館を照らしているのは月明かりだけだった。 「物音はあちらの方からしたように思えますが」  翡翠は暗い廊下を進んでいく。  彼女に続いて秋葉、僕の順で歩く。 「!」  また物音。間違いなく、翡翠が立っている扉の奥から聞こえていた。 「二人とも下がって」  ノブに手をかける。  扉はあっさりと開いた。 □志貴の部屋  ……殺風景な部屋だった。  自分で言うと悲しくなってくるけれど、とにかく殺風景な部屋だった。  部屋にあるものといったらベッドぐらいで、あとは———床にびっしりと撒かれた赤い花しかない。  花は、妹切草の花だった。 「……琥珀?」  秋葉が声をかける。……物音は確かにしていたのに、この部屋には誰もいない。 【翡翠】 「……志貴さま、秋葉さま。こちらへ」  壁ぎわで何かを発見したのか、翡翠は僕らを手招きした。 【秋葉】 「なによ、どうしたの翡翠」 【翡翠】 「これを」  翡翠は壁にかけられたカレンダーを指差した。  カレンダーは十年前のものだった。  ただ月は合わせているのか、開いているのは八月。  その、曜日がズレた八月十日にバツマークが刻まれていた。 「八月十日って、今日……でしたよね」 「…………」  僕は答えず、その下に書かれた小さな文字を凝視した。  バツマークで潰された八月十日の下には、  コミックマーケット60初日。 【翡翠】 「志貴さま、そちらではありません」  あ、やっぱり?  それでは気を取りなおして、  バツマークで潰された八月十日の下には、        秋葉 志貴 ようこそ □志貴の部屋 「な———————」 「うそ……どうして私と兄さんの名前があるんですか……!?」  言葉が出ない。  僕らは偶然この館を訪れた筈なのに、どうしてこんな物があるのだろう——— 【翡翠】 「志貴さま。先ほどから気になっていたのですが」 「……なんだい、翡翠」 「志貴さまは妹切草の伝説をご存知ですか?」 「ああ、知ってる。さっき琥珀さんから聞いたよ。なんでも昔、二人の姉妹がいて争ったってヤツだろう」 「いいえ、違います。先ほど姉さんが話していたのは間違った伝説です。  ……昔、この山に住んでいた姉妹は不老の妙薬を伝える一族だったのです。それゆえに人々の欲を怖れ、山奥に隠れ住んでいたとか」 「……あのね翡翠。そんな話と今の状況にどんな関係があるっていうのよ」 【翡翠】 「お黙りください、話の途中です。  ……しかし、姉妹の生活も長くは続きませんでした。姉の不注意で存在を知られた姉妹は人々に妙薬の秘密を教えろと脅迫されました。  姉はついに耐えられず、妙薬は自分たちの血液から作られる物だと語り———妹は全身の血を抜かれて死んだのです」  ……凄惨な話だ。  けれど、 「だから、その話のどこに妹切草が出てくるんだ?」 【翡翠】 「…………ふ」  翡翠は意味ありげに笑うだけで、僕の質問をシカトした。 【秋葉】 「……ねえ翡翠。あなたも琥珀もこの花について詳しいようだけど、それなら花言葉ぐらい知っているんでしょう?」 【翡翠】 「はい。たしか妹切草の花言葉は————」       おまえでは俺には勝てん! 【翡翠】 「だったかと」 「……………」 「—————」  また随分とぶっとんだ花言葉だ。 「ああもう、そんな事より琥珀さんだ!さっきの電話といい停電といい、このカレンダーといい、この館は何かおかしい。琥珀さんを一人きりにしていたらどうなるか分かったもんじゃないだろ。なら一刻も早く琥珀さんを見つけて外に出ないと!」 【翡翠】 「姉さんを見捨てて逃げる、というのはどうでしょう」 「……翡翠。頼むから、解りづらい冗談はやめてくれ」 【翡翠】 「失礼しました。わたしなりに場を和ませようと努力したのですが」 【秋葉】 「———けど兄さん。翡翠の言う通りかもしれませんよ。この館は異常です。私たち、一刻も早く立ち去るべきではないでしょうか」 「ばか、琥珀さんを置いて行けるもんか。それに電話だって探さないといけない。……大丈夫、気をつけていれば危ないコトなんてない」  とくに秋葉に関しては、襲った相手が気の毒に思えるほどだ。 「とにかく手分けして探そう。俺は二階の西側を探すから、秋葉と翡翠は二人で東側を探してくれ」 □屋敷の廊下 「—————————」  一人きりになった途端、たまらなく心細くなった。  ……山道で見た死体。  鳴らない筈の電話。  部屋一面に敷き詰められた赤い花と、カレンダーに記された文字。  まるで僕たちを待ち構えていたような館と、消えてしまった琥珀さん。  ……血のように赤い花のせいだろう。  琥珀さんはすでに、何者かの手によって——� 「ハッ、まさか」  イヤな想像を振り払って歩く。 「……?」  窓の外から音が聞こえる。  野鳥だろうか、と目を向けた途端。 【???】 □屋敷の廊下 「—————————」  目の錯覚だ。  無視して館を調べるコトにした。 □屋敷の廊下  西側の部屋に琥珀さんの姿はなかった。  だが、一つだけ中を調べられなかった部屋がある。 「……ここだけ鍵がかかってる」  開かずの扉、というヤツだろうか。  もしかしたらここに琥珀さんが閉じ込められているかもしれな——� 「ん? なんだ秋葉、もうこっち側に来たのか」  やってきた人影へと振りかえる。  そこには。 【死者】 「———————!」 「うわああああああああ!」  振り下ろされるナタ!  血だらけの男は人形のような動きで襲いかかってくる! 「なんだ、なんだなんだなんだなんだ……!」  夢中になって逃げ出した。 □遠野家1階ロビー 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」  階段を駆け下りる。 【翡翠】 「—————————」  ロビーには翡翠がいた。 「ひ、翡翠……」  はあ、と深呼吸をして気持ちを落ちつかせる。 「無事だったんだな、良かった……いいかい、この館は確かにおかしい。誰の仕業か知らないけど、誰かが隠れて何かを企んでる」 「———————————」  翡翠は何も言わない。  僕は——�  1、まさか翡翠も、と恐ろしくなった。  2、もういい、一緒に逃げて二人だけの楽園に行こう! と翡翠を誘った。  まさか翡翠も、と恐ろしくなった。 「翡翠……? 君、翡翠か?」 【翡翠】 「——翡翠ですって? そりゃあイッタイ誰のコトだってんですか、この誰でも彼でもダイスキ野郎めー」 「ひっ——!? お、おまえ翡翠じゃないな……!」 「いかにも、ワタクシはこの館に取り憑いた悪霊サマなのです。うふふ、歓迎しちゃうぞ生贄ドモ! ウェルカムトゥマイテェリトォリー、アハハハハハハハハハハ!」 「な———悪霊って、バカな……!」 「うふふふ、一人たりとも逃がさないぞー!」 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】  がっくがっくと狂ったように頭を振る翡翠。  ああ、こりゃあホントに取り憑かれてる。 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 【翡翠】 「さあ、まずは志貴サマから壁に塗りこんでやるぜ、べいびー!」 「うわああああああ!」  ものすごいシェイクぶりで近寄ってくる翡翠ウィズ悪霊!  そのあまりのキチ○イぶりに圧倒されて動けない。 「危ない兄さん!」 「うるっひゃあ!?」 【秋葉】  そこへ、秋葉のリモンチョウチュウが炸裂した。 □遠野家1階ロビー 【秋葉】 「危ない所でしたわね兄さん。お怪我はありませんか?」 「あ……いや、こっちは大丈夫だけど……」  壁にふっとばされた翡翠の方が心配だ。 【翡翠】 「……秋葉さま。悪霊に取り憑かれている所を助けていただき、ありがとうございます」  ゆらりと立ち上がる翡翠。 【秋葉】 「ほんとよ。あまり手間をかけさせないでほしいわね」  当然のように答える秋葉。  二人の仲はここにきて最高の緊張感を見せている。 □遠野家居間  居間に戻る。  二人も琥珀さんを見つける事はできなかった。 【秋葉】 「……あの、兄さん。私、この館を知っている気がするんです。なんとなく、ですけど館の作りも解りますし……」  不安そうに秋葉は語る。  ……そういえば、館にやってきた時も秋葉はそんなような事を言っていた。 「そんなのは気のせいだよ。不可思議な出来事が続いているんだ、不安になるのも無理はない」 「……そうでしょうか。それならいいのですけど」 【翡翠】 「秋葉さま。館の間取りが解るのですか?」 【秋葉】 「え?……ええ、なんとなくだけど頭に浮かぶわ」 「それでは姉さんが閉じ込められていそうな所は何処でしょうか。二階にはいないと思うのですが」 「翡翠、そんなコト秋葉に解るはずがないだろ」 【秋葉】 「……いえ、解ります。ちょうど階段の裏側に、死角になっている通路があるんです。その奥に倉庫がありますから、もしかしたら———」  秋葉は不安そうに僕を見る。  ……仕方ない。僕も男だ、ここは頼りになる所を見せなくては。 「解った、それじゃあ確かめてくる。けどこの館には誰かがいるのははっきりしているんだ。無闇に歩きまわるのは危ないから、二人はここで待機していてくれ」  頷く二人。  僕は武器になりそうなナイフを持ってロビーへ向かった。 □遠野家1階ロビー 「——————あった」  秋葉の言う通り、階段の裏側には扉があった。 □ホテルの廊下 「……明かりがついてる」  廊下には明かりが生きていた。  それにしても不気味な通路だ。  明るいというのに、影になった部分がよりいっそう不気味な澱みを持っている。 「……こんな所で襲われたら終わりだな」  さっきの血だらけの男を思い出す。  あんなのが前後からやってきたら逃げ場はない。  僕は——�  1、そういう都合の悪い事は考えないようにした。 2、いくらなんでもウメサンドはないだろうと思った。  そういう都合の悪い事は考えないようにした。 □ホテルの廊下 「……突き当たりにドアがある」  ここが秋葉の言う倉庫だろうか。  覚悟を決めてドアを開けた。 □お化け屋敷 「うわあ!?」 □ホテルの廊下  バタン!  慌ててドアを閉めた。  ……また目の錯覚だろうか。  気を取り直して、もう一度ドアを開けた。 □露天風呂 「———露天風呂だ」  しかもちゃんとお湯が張ってある。  お湯も綺麗だし、今すぐ使えそうな感じだ。 「琥珀さん———!?」  そこに、気絶しているのか、倒れている琥珀さんの姿があった。 □遠野家居間  琥珀さんを抱きかかえて居間に戻ってきた。  琥珀さんは薬を嗅がされているのか、いくら呼んでも目を覚まさない。 「……まいったな。琥珀さんを背負っていくしかないか」  帰りの山道を思うと困難だが、それ以外に道はない。  危惧するコトがあるとしたら、琥珀さんを背負っている時にあの血まみれの男に襲われたら、という事だった。 【翡翠】 「志貴さま、秋葉さま。お食事の用意ができました」 「は? しょ、食事の用意って、なに?」 【秋葉】 「ああ、それだったら私がお願いしたの。夕食を食べていないんだし、兄さんもお腹が減ってるかなって。台所は電気がついてますし、ちゃんと材料もありましたから」 「……けど、この状況でメシったってなあ」 【翡翠】 「お食べください。栄養をとらなければいざと言う時に力が出ません」 「ほらほら、翡翠の言う通りですよ。琥珀も見つかったんだし、食べるものを食べてさっさと車に戻りましょう」 「…………」  仕方ない。それじゃあ夕食にするとしよう。 □遠野家のキッチン  台所には翡翠が用意した食事が並んでいる。  と、いってもパンやハムといった調理の必要がないものばかりだ。  そんな雑多の食べ物の中、テーブルの中心に封がされた皿がある。  メインディッシュ用の、ドーム状の蓋を被った銀食器だ。 【秋葉】 「あら? なにそれ、さっきは無かったわよね、翡翠」 【翡翠】 「はい。わたしも用意した覚えはありません」  不思議そうに首をかしげる二人。  けれど食器からは湯気が出ているし、出来たてのホヤホヤといった感じだった。  僕は———�  1、ものすごいご馳走に違いない、と喜んでフタを開ける事にした。  2、そんな事より眠っている琥珀さんをいただきたかった。  ものすごいご馳走に違いない、と喜んでフタを開ける事にした。  ものすごいご馳走に違いない、と喜んでフタを開ける事にした。 「ステーキかな? やっぱりパンだけじゃ夕食って気がしないよね」  秋葉に食べられてなるものか、と食い意地をはる。  銀の盆を開けると、 「きゃあああああああ!」  中には猫の死体があった。 「うわ、なんだこれ……!」  あまりの生々しさに跳び退く。  死んでいた猫の目が動く。  首が千切れかけた猫は、秋葉を見るなり体を起こして跳びかかった。 「いやああああああああ!」 □遠野家のキッチン  秋葉の悲鳴。  猫は秋葉へ跳びかかり、その頭上で破裂した。  ぱあん、という音がして、血やら内臓やら肉球やらが秋葉の体を濡らしていく。 「なによこれ、気持ち悪い……!」  血と内臓でどろどろになった制服。  秋葉は今にも泣きそうだ。  度重なる異変と、この猫の死体で秋葉の理性は壊れかかっているのだろう。  僕は————  1、さっきの露天風呂を思い出した。  2、猫、おいしいよ? と秋葉を慰めた。  さっきの露天風呂を思い出した。  さっきの露天風呂を思い出した。 「秋葉、奥に風呂があったぞ」 「ホントですか兄さん!?」  喜ぶ秋葉。 「ああ。使うなら使えばいい。風呂の外で見張ってあげるから、軽く汚れを取るぐらいなら大丈夫だろう」 【翡翠】 「……そうですね。姉さんはわたしが見ていますから、秋葉さまはお体を洗浄してくるべきかと」 「む。なにかひっかかる言い方ね、翡翠」 【翡翠】 「事実を述べたまでです。秋葉さまの匂いは無視できる物ではありませんから」  またもぶつかり合う二人。 「ほら、決まったんだから行くぞ秋葉! 翡翠も琥珀さんをよろしくな」 【翡翠】 「はい。かしこまりました、志貴さま」 □ホテルの廊下 「兄さん、そこに居ますか?」  ドア越しに秋葉の声が聞こえる。 「いるよ。いるから安心して入ってろっての」  もう何度目かの返答。  あの露天風呂に一人きりというのが不安なのか、秋葉は何度も呼びかけてきていた。 「兄さん?」 「だから居るよ。秋葉が出てくるまで動かないって言ってるだろ」 「……そうではなくて、ですね。その、兄さんもお風呂に入りませんか……?」  たどたどしい声で秋葉は言う。 「な……秋葉と一緒に、風呂……?」  突然のコトに頭の中がぐるぐる回る。  僕は——�  確かに一緒にいた方が安全だと自分に言い聞かせた。  確かに一緒にいた方が安全だと自分に言い聞かせた。 □露天風呂 「それじゃあ失礼して……」  恋人同士だとはいえ、なんとなく腰が低くなる。 【秋葉】 「……………………」  秋葉は黙って、じっと僕を見つめていた。 「————————」  う、可愛い。  照れているのか、それともお湯で上気しているのか、秋葉の顔は真っ赤だ。  バスタオルで隠した体も色っぽくて、僕は初めて秋葉を妹ではなく一人の女性として意識した。 「兄さん、は、お入りにならないんですか」 「あ、いや———別に汚れてないし、裸になったら何かあった時に秋葉を守れないだろ。だからこのままで様子を見てるよ」 「……そうですか。兄さんがそうしてくださるのなら心強いのですけ、ど……」  なにが不満なのか、秋葉は上目遣いでこちらを見る。  けれど僕は——�  1、秋葉の肌から目が離せなかった。  2、秋葉と一緒に入ろうと思った。  秋葉の肌から目が離せなかった。 「いや、それにしてもびっくりしたな」 【秋葉】 「……えっと、何にですか? さっきの猫のコトとか?」 「違うよ。ちょっと見ないうちに秋葉も大人になったなって。もう子供扱いできないなって、ドキドキしてるとこ」 【秋葉】 「っ……! に、兄さん、今はそんなコトを言っている状況じゃないでしょう……!」  さっきまでの態度とは一転して照れる秋葉。  乙女心というのは本当に解らない。 「大丈夫だよ、琥珀さんも見つかったしあとは外に出るだけだ。それにさ、せっかく秋葉の可愛いところが見られるのにいつも通りっていうのも失礼だろ?」  その、モチのような肌に舌を這わせたくなって近寄る。 「に、兄さん、だめですってば……! まだ栞がピンクになった訳でもないのに……!」 「そういう誤解を招くセリフは止したほうがいいな。今回の話はいくら遣り込んでも変化しないんだから」  ふっふっふ、と秋葉に近寄る。  その時。 「きゃあああああああああああ!」 □露天風呂  ロビーから、琥珀さんの悲鳴が聞こえた。 「—————兄さん!?」 「解ってる……!」  咄嗟に露天風呂から廊下へと駆け出す。  全速力でロビーへ駆けつけると、そこには  無残に変わり果てた、琥珀さんの姿があった。 □遠野家1階ロビー 「そ……そん、な————」  たった数分。  たった数分目を離している間に、琥珀さんは帰らぬ人となってしまった。 「翡翠……そうだ、翡翠は……!?」  翡翠の姿を探す。  ……彼女の姿も消えていた。  考えたくはないが、彼女も琥珀さんと同じように———— 【秋葉】 「そんな———琥珀」  気が付くと、僕の背後には着替えてきた秋葉がいた。 「嘘でしょ……? だって、さっきまであんな——」 「………………」  かける言葉がない。  僕はただ秋葉を見守る事しかできない。 【秋葉】 「……姉さんだわ」  と。  秋葉は、いきなり訳の解らない事を言った。 「秋葉……? 姉さんって、なに?」 「だから姉さんです。思い出した、私には双子の姉がいたんです……!」 「姉がいたって……随分とトウトツだね、それ」  いくらパロディだからって、もうちょっと伏線とか張っておかないとまずいのではなかろうか。 【秋葉】 「そんな事どうでもいいんです……! 私、思い出しました。ここは姉が住んでいた別荘で、私も子供の頃までここで暮らしていたんです!」 「……そ、そうなんだ。けどそれと琥珀さんが殺された事は関係ないんじゃないかな」 「ああもう、解らない人ですね! だから、私たちを殺そうとしている誰か、それが私の姉なのよ!」  ダダダ、と走りさっていく秋葉。  混乱しているのか、さらに事態を混乱させるつもりなのだ。 「待て秋葉……! ってもう、どうしてドイツもコイツも大人しくできないんだつーの!」  全てのプレイヤーの魂の叫びである。 □屋敷の廊下 「—————くそ、見失った」  秋葉を見失った僕は、以前見つけていた開かずの部屋の前にいた。  ……全ての真相はこの部屋に隠されている気がする。  僕はナイフで鍵を壊し、中へと足を踏み入れた。 □秋葉の寝室  そこは、ある少女の部屋だった。 「……写真」  棚の上には写真がある。  この館を背景にして笑っている秋葉だ。  けれどその髪は赤く、僕の知っている秋葉とはどこか違う気がした。  写真の裏には遠野秋歯、と記されている。 「……秋葉のお姉さん……まさか、本当にいたなんて」  呟いて、僕もいい加減付き合いがいいなあ、と感心した。  写真の横には古びた日記帳があった。  ……僕はその中身を確かめていく。 【有彦】  ○月×日。  うどんをミートソースで食べてみる。  わりと成功。  ×月×日。  新製品のアイデアが出る。  うまい棒アイス。  夏に向けてヒット間違い無し。 □秋葉の寝室  間違えた。  日記は日記でも、表紙に菌糸類のマークが入っていない方だ。  ……僕はその中身を確かめていく。 ○ 月×日。  週に一度山奥に行くのはタイヘンだ。  お父様はここを買いとって別荘にした。 ○ 月×日。  ……今日、私に姉妹がいるという事を知らされた。  驚いた。  今まで一人娘として育てられた私に姉妹がいるなんて。  けれど、お父様に尋ねてもそんなモノは知らない、と撥ね除けられてしまった。 ○ 月×日。  彼女の写真を見せてもらった。  本当に私に似ている。  初めは驚くばかりだったけど、興味が出てきた。  お父様は反対するだろうげと、できるコトなら彼女に会ってみたい。 ○ 月×日。  今日、新しい病院につれていかれた。  精神科だった。  姉妹の事など忘れろ、とお父様にきつく叱られた。どうせ会う事などできないのだ、と。  お父様は何か隠しているようだ。 △ 月△日。  —————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————。  ×月×日。  彼女の写真を見せてもらった。  ……妬ましい。  こんなにも私とそっくりで、ただ髪の色が違うだけで館の外に出ているなんて。  憎いでしょう、と訊かれたので、素直に憎いと答えた。  ×月×日。  姉妹に会える事になった。  もちろんお父様には秘密でだ。  私は、ただ憎らしいので意地悪をしたかっただけだ。  けれどすり替ってしまえ、と言われたので、そういうのもいいと思った。  そのために、彼女の身の回りにいる人間はみんな殺しておかないといけない。  ×月×日。  明日に決まった。 □秋葉の寝室 「——————————」  日記は八月九日、つまり昨日で終わっている。  日記帳の裏を見ると、“浅上療養所”というスタンプの跡がある。  これは日記帳ではなく療養所のノートだ。  この、浅上療養所というのは恐らくはこの館の事だろう。  それならば、こんな辺鄙な山奥に洋館が建っているのも頷ける。  精神病の患者を隔離するには、ここは絶好の立地条件だ。 「……秋葉にすり替るって、バカな」  言葉にして、なにか微妙な違和感がある気がした。  秋葉はああ言っていたけど、この日記には一つだけ、記されていて当然の単語が記されていない。 【翡翠】 「志貴どん」 「—————うわ、翡翠!?」 「見てシマタのデスね、志貴どん」 「ちょっ、ちょっと待て、なんか言葉遣いがおかしいぞ翡翠……!」 【翡翠】 「秋歯お嬢さまの命令は絶対デス。お覚悟を」 ————殺気!  翡翠が本気だと気付いて、こちらも咄嗟にナイフを構える。 「止めろ翡翠、正気に戻れ……!」 「いきますよー」  ざっ、と翡翠は両手を構える。  途端、世界が真っ白になって———� ~ vsp 3,0 vsp 0,1 vsp 0,0 vsp 1,1 vsp 1,0 vsp 2,1 vsp 2,0 vsp 3,1  ほわたたたたたたた、と呟く翡翠。 「ひ————ひひ、わはははははは!やめて翡翠、ハラ、ハラがよじれる……!」 vsp 3,0 「だべきゃ!?」  躱す事などできなかった。  まさにマーベラス。究極とも言える円の動きの前に、僕の意識は昏睡していった———— □秋葉の部屋  ……気が付くと、僕は見知らぬ部屋にいた。  蝋燭の赤い明かり。  どうやら棺桶に入れられているようだ。  手足はご丁寧にも縄で縛られており動けそうにない。 【秋葉】 「あら。目が覚めたようね、七夜さん」 「な————」  部屋には、棺桶に入った僕を見下ろす、赤い髪の秋葉がいた。 「おまえ———おまえが秋歯か……! 人をこんな棺桶に押し込みやがって、一体なんのつもりだ!」  解っているのに尋ねるあたり、僕はつくづく付き合いがいい。 【秋葉】 「あら、お分かりになられていないの? 七夜さんはね、秋葉と一緒にここで死んでしまうのよ。もちろん、お二人とも棺桶に入っているのですから火葬です」  ホホホ、とまったく違和感のない笑い方をする秋葉。……じゃなくて秋歯。 「……ん? 待て、今お二人って言ったな……!」 「ええ。七夜さんの真横にはもう一つ棺桶がありますの。そこに誰が入っているかは言うまでもありませんわね?」 「————————」  耳を澄ませる。  ……すると、たしかに真横から苦しげな呻き声が聞こえてきていた。 「おまえ、本気で———!」 【秋葉】 「当然でしょう? 伊達や酔狂でここまで話をひっぱるものですか。私は姉さんと貴方たちを消して遠野秋葉になるの。ほーら、茶番はこれでおしまい」  ぱちん、と指を鳴らす秋歯。  ごう、と近くで火のあがる音がした。 「さよなら。恨むのなら秋葉を選んだご自分をお恨みになるのね、兄さん」  棺桶のフタが閉められた。  ……まわりからはパチパチと絨毯が焼ける音がしている。  棺桶の中はすでに物凄い熱さで、あと一分もすれば炎に包まれてしまうだろう。 「くそ——————」  チクショウ、どうすればいいんだ。  ドン、と悔しくて棺桶を叩く。  ……叩く。……叩ける? □秋葉の部屋 「なんだ、縄ほどけてるじゃんか」  秋歯のヤツめ。使い慣れないロープなんて使うから縛る事もできないんだ。 「いや、そんな事より秋葉———!」  すぐ隣の棺桶を開ける。  妹切草が敷き詰められた棺桶。  その中にいたのは——� 【翡翠】 「——————翡翠?」  この熱さで気絶してしまったのか、翡翠は棺桶の中でぐったりとしている。  その手足はがっしりと縄で縛られていた。 「————!」  火の手があがる中、必死で縄を解く。  起こしている暇はなく、翡翠を抱きかかえて部屋を飛び出した。 □屋敷の廊下 「うわ、ここまで火が……!」  かなり無理やりな感じはするが、ともかく館はもう完全に炎に包まれていた。  急がなければ巻きこまれる———! □遠野家1階ロビー 「……くそ、琥珀さん……」  琥珀さんの遺体はロビーに放置されたままだった。  ……申し訳ないけど、今は翡翠だけで手一杯だ。とてもじゃないけど琥珀さんまで———  と。ロビーから、居間が見えた。 □遠野家居間 【秋葉】 「あ、秋葉……!」  秋葉はぼんやりとこちらを見た。 【秋葉】 「あ……」  遅かった。火の回りは早く、居間は天井から崩れ、彼女は一瞬にして下敷きになってしまった。 「あ——————あ」  何故、今、一瞬だけでも秋歯を秋葉だと勘違いしたのか。  その疑問を振り払って、翡翠を抱いて館から脱出した。 □屋敷 ————燃えていく。  琥珀さんも、秋葉もつれて、古びた洋館が燃えていく。  僕は翡翠を草むらに横たえ、その光景をじっと眺めていた。  ……そうして。 「もう気絶したフリはいいよ、翡翠」  背後の彼女にそう話しかけた。 【翡翠】 「気が付かれていたのですね、志貴さま」 「ああ。あの日記を見た時から薄々と」 【翡翠】 「……そうですか。やはりあの日記を見せるのはもう少し後にするべきでした」  淡々と語る翡翠。  ……そう、あの日記には一つだけおかしな所があったのだ。  それは些細な、どうでもいい事だったと思う。  けれど気になってしまったからにはどうしようもない。  あの日記。  秋歯とかいう少女の物らしきソレには姉妹という単語だけで、どちらが姉でどちらが妹なのかと一つも明記されていなかったのだ。 「———秋葉は初めからこの診療所にいたんだろう。それは、二重人格とかいうヤツのせいかな」 【翡翠】 「はい。それは幼少の頃に治療されたそうですが、ここ数年で再発したとか。つまり、あの日記は」 「前半が秋葉で、後半が秋歯なんていう架空の人格が書いたものだって事か」  そして、秋葉に秋歯などという姉がいると囁き、現れてしまった秋歯に秋葉という姉がいると囁いたのは——— 「……解らないな。なんだって翡翠がそんな事をするんだ。琥珀さんまで巻きこんで、こんなバカげた事をするなんて意味がない」 【翡翠】 「はい、意味なんてないんです。わたしはですね、一度でいいから姉さんのように裏から操ってみたかっただけですから」 「は—————?」 「ですから、姉さんのように操ってみたかった、と。姉さんに比べてわたしは間が抜けているとか特技がないとか、そう言われているのも嫌でしたし」 「あ……ああ、そうなんだ。それが動機?」  頷く翡翠。  ……そっか、琥珀さんと比べられるのがイヤだったからこんなバカげた事を仕組んだワケか。  うーん、たしかに琥珀さんみたいな姉を持つ翡翠の気持ちはわからなくはないけど…… 「いや、それにしたってさあ」 【翡翠】 「それに志貴さま。志貴さまは一つ、重要なコトにまだ気が付かれておられませんね」 「え? 重要なことって、なに」 「今回の題名は妹切草でしょう? ほら。わたしも姉さんの“妹”です」 「そ———それでオトしているつもりかばかぁ!  そんなのはじめっから気付いてたわいっ!」 【翡翠】 「……………」  途端、不満そうに顔をしかめる翡翠。 「だいたいな、そんな理由で秋葉と琥珀さんをやっつけるなんて、そんなの許される筈ないだろ! 見ろあの全焼ぶり! 冗談じゃすまないぞ、これ!」 「————————」 「それにこれだったら予告編のが面白かったじゃんか! バカネタなんだからさー、まっとうなストーリーなんて必要なかったんだってば」 「————————」 「聞いてる? これじゃせっかく投稿してくれた人たちに申し訳がたたないっていうか、面目まる潰れっていうか———」 「—————志貴さま、うるさい」 vsp 3,1  あ。翡翠が怒った。 ~ vsp 3,0 vsp 0,1 vsp 0,0 vsp 1,1 vsp 1,0 vsp 2,1 vsp 2,0 vsp 3,1 「うわっ、ちょっとたんま……! それ、それなし……! シャレになんないんだぞソレ!」 vsp 3,0 【翡翠】 「——————」  ……助かった。  何故だか知らないけど、翡翠のあの攻撃はとても脳に来るのだ。……笑いすぎかもしれない。 「……志貴さま。志貴さまは冗談では済まないと仰いますが、この出来事はその冗談を前提としたわたしたちの夢です。  志貴さまはまた忘れてしまうでしょうが、秋葉さまも姉さんも———」 【秋葉】 「あー、死ぬかと思っちゃった。演出にこるのはいいけど、いくらなんでもアレはやりすぎよ翡翠」  ひょっこり、地面から秋葉が生えてきた。 【琥珀】 「同感です。翡翠ちゃんのシナリオは腕力きいてますから、合わせるのに一苦労です」  ついで、琥珀さんも生えてきた。 「あ————う?」 【秋葉】 「けど、これで次は私の番ね。同じ洋館モノでも私のは一味違うわよ。ふふ、この日のために散々見まくったホラー映画の成果を見せてあげるわ」  さ、行くわよ、と秋葉は全焼してしまった館を指差す。  ゴゴゴ、という地響き。  そして。 □遠野家屋敷  真新しい館が荒地ににょっきり出現した。 「は———————はは、は」  そうか。ようやく理解できた。  ようするに、これは。 「もしかして、これも夢の延長なのか……!?」 【秋葉】 「そうですよ。ここにきた以上、兄さんはずっと私たちが考えた悪夢に付き合わされるんです。私たちがネタギレになったら解放されますから、その時を希望にして頑張ってください」 【琥珀】 「ですねー! さ、もうじき朝だし志貴さんには新しい役どころについてもらわないと。  はい、それじゃあ翡翠ちゃん、いつものお願い」 【翡翠】  こくり、と頷いて立ちはだかる翡翠。 「い……いやだ、こんなのもうゴメンだあああああああ!」  走る。  走って逃げる。  うわあああ、やっぱりそう来たか! 【翡翠】  そして際限なく高まっていく翡翠のコスモ。 「わはははははは!チクショウ、汚いぞその背景!そんなすごそうなの食らったら記憶ばかりか人格も崩壊しちゃうじゃないか!」 「———————————」  翡翠はこっちの言い分なんて聞いてくれない。  くわえて。 ~ vsp 3,0 vsp 0,1 vsp 0,0 vsp 1,1 vsp 1,0 vsp 2,1 vsp 2,0 vsp 3,1 「ひ、うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!なんだよもう、俺今回こんなんばっかりだな!」  ……朝が近い。  東の空が白んでいる。  だというのに、まだまだ夢から覚めそうにない。  そうして、今更になって思い知ったワケだ。  どのような喜劇であれ、悪夢というのは醒めないからこそ悪夢なのだ、とかなんとか。  何はともあれ。  妹切草にまつわる小話は、これで一巻の終わりになってくれたらしい。  ……くれたんだよ、な?  いや、頼むよホント……。